私は、
「あの人が、嫌い」
という思いがあっても、
”見て見ぬふり”をして、
感じないようにする癖があった。
「うわっ、この人嫌いだから、
こっち来ないで」
と思っても、
「嫌っちゃいけない、
嫌っちゃいけない」
と思って、
自分の気持ちを蓋をする、
癖。
なぜ、こんなことするのか、といえば、
自分が嫌われたくないから、
目の前にいる人に対しても、
「嫌っちゃいけない」と思って、
「嫌いな人に対してまで、
自分を好きになってもらおう」
としてしまうから。
むかしむかし、
私は、
嫌われる、
それが、
条件反射的に、
”相手から攻撃される”、
という図式をイメージしてしまい、
その幻想の攻撃から身を守る為に、
嫌っちゃいけないと思う癖を身につけた。
(攻撃・・・
いじめ、モラハラ、度重なる強制解雇・・・w
結構ひどい目にあって来たぞ)
嫌われたくないっていうのは、
人情として、誰にでもあるけど、
嫌う、
っていう感情だって、
人情として自然なこと。
でも、
”好かれたい”、が為に、
「嫌われないようにするためにも、
嫌っちゃいけない」を
自分に強要してしまうのは、
”自分いじめ”でしかない、
よね。
私が実際にいじめられていた時を振り返ると、
自分を感じないように感じないようにして、
自分いじめしてたから、
現実に
私をいじめるような人が出て来たというのに、
気づく。
あの頃の自分が、
自分が嫌いだっていう感情を認めて
そういう自分を許し切っていたら、
攻撃はもっと緩やかだった、だろう。
(私が受けた数々の攻撃は、
自分責め以外にも理由があるので、
絶対的にないとは言い切れない、けど)
感じることは、
事実なんだから、
仕方ない。
好き嫌いも、
自分を構成する重要な要素。
嫌いなら、
嫌いだ、って認めるしかない。
いいじゃんか、
嫌いになったって、
どうせ、
私だって、
全員に好かれてないんだからさ、、、
誰かが私を嫌いだと思ってもいいし、
だからといって、
私を嫌う相手が、
攻撃して実害及ぼすとは、
限らないよね?
って。
私のことが嫌いだって、
淡々と私を遠くから眺められる人だっていると思うし。
(私の存在に関して、
”どうでもいい”っていう感じかな)
むしろ、
嫌いだから危害を加える、って
思い込みがあるから、
過去に虐められたとか、
そういう現実をだしやすかった、
というだけで。
嫌ってもいいんだよ、
嫌いな人がいていいし、
好きな人がいていいし、
嫌われても死ぬことはないし、
そんなこと、ガン無視して
楽しく生きてもいいんだし、
あの人だって、
私から嫌われたって、
私をガン無視して
楽しく生きていいんだし、
嫌いな気持ちを素直に認めれば、
やがては、
嫌いなことは、
自分にとって「どーでもいい」ことと認められて、
好きなものに意識を集中できる。
だから、
私は、
嫌われてもいいし、
嫌いになっていい。
嫌いを認めていい。
好きをどんどん追求していい。
どんどん楽になって、
どんどん自分の道が幸せになることへ
集中していい。
誰も自分の邪魔をしていないよ。
自分の邪魔をするのは、
嫌いにフォーカスしつづける、
自分の内側だからね。
誤解なきように。
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