「峡谷の吊り橋」

「峡谷の吊り橋」

のほほん、と生きているように見える人。
それでいて幸せそうに自分の目に映る人が、許せない。

”そんな状態でも、
幸せなんだ”、
と思ってる。

”私はこんなに、頑張って色々と身につけたのに”、
私から見たら相手は、
手放しに無知な状態でも幸せに生きているように、
見えるから、
嫉妬する。

完全に、
相手が無知だと、
見下す私。

そして、
私にとって、
相手のしていることは、
私の羞恥心的には”ありえないこと”、
と批判する。

そんなことしても、
幸せに生きているなんて、
一体どういうことなんだ?
と私は反射的に思う。

例えば、
明らかに似合わない洋服を着ているのに、
幸せそうに、楽しそうにしている人、
を見たときの、
よくある私の感情反応のパターンだ。

それは全て、
私の勝手な表面的な相手に対する判断。
その人の全てを知らないのに、
してしまう反射的な行動。

そういう人が目の前に現れることだけでも、
腹が立つ。
私に危害を与えることなど、
何もしてないのに。

根底には、
「大したことしてないのに、
なんでそんなところに立っているの?」
という
相手の存在そのものに対する否定だ。

私は、
自分を、
だらしないところや、
ネガティブなところ、
人から好感持たれないだろう凡ゆることについて、
表に出さないように、
それを許さない態度と、
例えばそれが表に出たら、
激しく自責していたから、
激しい分だけ、
自分が気に入らないと感じた人が目の前に現れたら、
その人を徹底的に心の中で責め立てる。

ある種、それが、
私の美意識となって、
自分の身を立ててくれたとも言えるが、
しかし、
自分を苦しめているものとして、
意識が目覚めると共に認識する。

それは、
相手を、
人として認めない、
ということで。

そんな私は、
自分をも人として認めていないから苦しいんだ、
と気づいたからだ。

バーストラウマ、
フロイトの口唇期、肛門期の母親からのネグレクトによるトラウマ、
などで、
私は人が人として認識できない、
という特徴があるのだが。

しかし、
もうそれを手放す時だ、
というところに来ている。

だから、
こんなことをコツコツと・・・内省してみるのだ。

相手の陰を自分の内に見ることは、
自分の中にある陰を陽に転ずること。

陰陽がくるくると回り、
循環が始まる。

それは創造の源。

人の存在というものに相対する私は
勝手にインスパイアされ、
ストーリーが展開する。

陰を感じさせてくれる相手は、
生きているというだけで、
私にそんなギフトを与えてくれている。

それに気づけば、
ストーリーがさらに変化し、
鮮やかに美しく私の心に刻まれる。

峡谷とは、
私のそんな外側と内面の感情交流が活発となった新陳代謝の状態を指し、
吊り橋とは、
相手からの存在のメッセージを受け取って湧き立つ感情的な揺らぎと、
それを感じる体感覚の調整と実生活でのバランスを得ていく様を指す。

さらに、
私が、
自分の現実から起こる全ての内的プロセスに、
全面的に委ねる感覚を徐々に得るのは、
峡谷の吊り橋の下に流れる川の流れに身を委ねるイメージを、
無意識に重ねたからだ。

#陰陽
#他人への嫉妬を自己創造へ変える
#ポエトリーヒーリング