「雪の中に埋もれた平均台」
私は、
”目に見えないモノが分かる”
といっておきながら、
私の潜在意識では、
”目に見えないモノには価値がない”
と強く思っている。
私の中にある、
葛藤とは。
”目に見えないモノが分かる感覚を持った私”、
と、
”目に見えないモノが分かる感覚なんて
私にはないし、
むしろ
目に見えないモノが分かる感覚なんて
無価値だ”、
という
意識にある。
意識の構成は、
潜在意識 95%:顕在意識5%
だから、
潜在意識で思っていることが現実として現れる。
私は”目に見えないモノが分かる”と呟いたとしても、
潜在意識95%にある、
”目に見えないモノが分かる感覚なんて
私にはないし、
むしろ、
目に見えないモノが分かる感覚なんて
無価値だ”、
というのを無意識に採用している。
その結果は極端に一言でまとめると、
「自分が満足するだけのお金や愛という豊かさを受け取れていない」
ということ。
その意識を採用する動機とは、
世間のモノの見方に自分の意識を合わせるのが快感、
だったり、
そういう偽りの快感に体を埋没させ不快を生じさせるのが快感、
だったり、
目に見えないモノより目に見えるモノに執着する所有の感覚が快感、
だったり、
自分の人生は自分が創造しているのに、
自分から他人に自分の人生の舵取りを譲るのが快感、
だったりする。
しかしそれも表面的な快感で、
もっと深層に隠れた快感として見えたのは、
失敗を恐れること。
の快感であった。
失敗とは、
なにが失敗なのかは
私が決めることで、
世間が決めることじゃない。
なのに、
今の私は、
世間的な失敗というものに囚われて、
身動きがとれないんじゃないかと、
感じている。
そんな私にもう一人の自分は、
「その失敗とは、
雪に埋もれた平均台から落ちるようなもので、
ただの戯れごとに過ぎない」
と言う。
雪に埋もれた平均台から落ちても、
私に残るのは、
雪に濡れた衣服の冷たい感触のみ。
痛さどころか、
痒さもない。
ただ、
少しの不快感が残るだけだ。
私が失敗を気にするのは、
誰かに平均台から落ちたところを見られたくない、
という恥の感覚。
ただカッコよく平均台を渡りたいだけで、
他人に上手くいかなかったところを見られた、
自分の恥の感覚が失敗を定義するにすぎなかった。

雪に覆われた公園が暗示するのは、
私の人生。
平均台が暗示するのは、
私が人生で選択する道。
そこは、
私しかいない静かな場所。
このメタファーは、
誰も見ていないところで、
思う存分自由に人生に想いを描いていいんだ、
という許可。
そして
もし平均台から落ちてしまっても、
失敗とは潔ぎよい挑戦の爽快感を味わうのみ。
私の目には鮮やかな空しか映らない。
という暗示を残す。
#自分が満足するだけのお金や愛という豊かさを受け取れていないと思っていた私へのメタファー
#ポエトリーヒーリング