「ルサンチマンがくれたもの」

「私は汚い、
だけど、
他人は綺麗なはず」

私の深層意識の中に眠る、
思い。

強い強い信念だった。

しかし、
他人から
むやみに怒りをぶつけられるとか、
八つ当たりされるとか、
そういうことを通して、
鮮やかにその期待を裏切られ、
他人に絶望するのだが、
やはり、それは
「私は汚い、
だけど、
他人は綺麗なはず」
という
他人に対する過剰な期待があったからだ。

他人へ過剰に期待する、
その下心は、
自分に対して期待することを
諦めてしまっていたから。

「私はとても汚れているから、
何もしてはいけない」、
と思い込んでいた。

よく、
鬼ごっこで鬼になって、
ずっと鬼でいてしまう自分がいたけど、
鬼である私は汚いから、
誰もとらえてはいけないと思っていた。

ずっとそんなことを人生の中でフラクタルに展開していた。

勝手に自分に絶望し、
人生はどうにもならないものだと、
その深い悲しみに自分を落とめていた。

「私は汚い、
だけど、
他人は綺麗なはず」
という思い込みは、
私の中にある
他人への期待への原型。

しかし、
いい加減に他人にも期待がもてないことを徐々に理解しだしてから、
期待の矛先をどこに向けたらいいか、
漠然と悩んでいた。

私の心は、
そんな状態で長いあいだ、
体から抜け出して、
ウロウロと空中をさまよっていた。

でも、だって、
「私は汚い、
だけど、
他人は綺麗なはず」
なんだもの!

これが私の世界への希望だったんだから。

死ぬまでこの希望を持ち続けたかったの。

心を見ると、
そう叫ぶ自分がいた。

世界に対する嘆き悲しみと絶望感。

それは
自分に希望や理想を叶えることを許せないから。

汚い私は、
そんなの
夢や希望を叶えるに不相応だって、
何度も思ってるから。

最近、
「汚い私」
とは、
フロイト心理学でいうところの、
肛門期の私だった、
と知った。

ただひたすら、
無意味に汚いと自分を認識していたけど、
なぜにそう思っていたのか、
赤子から何十年も経った今、
やっと自分を檻から出せたようだった。

気づと、
「ああ、私は、
亡霊のようなルサンチマンだったなあ」
と思った。

世間で見る、
勝手に人に期待して、
勝手に絶望して、
こき下ろす、
あのルサンチマン。

私は、
なんら彼らと変わらず同じだったんだな、と気づいた。

と同時に、
私にあるルサンチマンに生き血が流れて行くのを感じた。

そして、
体から飛び出て
空中を徘徊していた私の心は、
いつのまにか体の中に戻り、
静かにドクドクと脈を打ちだした。

ルサンチマンとの統合、が始まった。