「愛の存在としての喜び」

 

社会の一員として生きられない自分。

社会というシステムに馴染めない、
私は何の役にも立てない、
というマインド。

生きるために働く、
そのために、
目を瞑って経済活動をすることを拒絶し、
たとえ貧しくとも、
その苦しみが自分というアイデンティティを明確にさせる。

そんな被虐的な快感を得ることが、
私の生きる喜びだった。

でも、
”そんなんじゃあ生きていけない”という、
もう一人の自分が、
生きるために働くというマインドにどうにか連れ戻し、
ある種、の「現実」に生きた。

対極にある、思いを、
行ったり来たりするのが、
長らくの私だった。

それはまるで、
「森の妖怪たちと鬼ごっこ」
をしているようだった。

ある視点によれば、
不毛な遊びだった、らしいが、

森の妖怪たちと戯れながら、
森の暗さに感じる違和感と孤独感、
その向こうにある
見えてなかった光に目を向けていた。

想定外に森が深く、
森から抜けられないように見えた自分の現実に、
諦めたくなることもあったが。

しかし、
ようやく、
そんな私の
長らく凍っていた自分の心に、
「勇気のともしび」
を見つけた。

森の妖怪たちとの鬼ごっこで、
体も心も温もりを知り、
いつしか、
妖怪たち以外のみんなと融合していく流れに身をまかせることになったようだ。

私には
いつのまにか、
One of them
のコーリングが聞こえていた。


不毛と思われる自問自答や、
自分のエネルギーを傷つけるようなもう一人の自分との葛藤、
”ない”、と、”ある”、の両極端を行ったり来たり、
そんなことばかりして何も生み出せてないと思うこともあったけど、
振り返ると
”ない”と”ある”の距離の長さを感じられる自分になればなるほど、
私の中で自分という者の存在感を大きくし、
それまでになかった安堵をもたらした。

孤独の果てに見る一体感は、
心の震えが連れて行く。

私の中にある、
「愛の存在としての喜び」
とともに。